尼子四郎寄贈の門 戸河内小学校

この夏の、たいそう暑い日、加計康晴さんの案内で、花井隆爾さんといっしょに安芸太田町を訪れました。その時に、尼子四郎が、戸河内小学校(旧・本郷尋常高等小学校)に寄贈した門と由来書掲示板をみることができました。

写真の門の左側が由来書。

 

尼子四郎は、漱石が千駄木に住んでいたときのことですが、、近くで開業医をしていて、悪阻で苦しんでいた漱石の妻鏡子の診療に夏目家を訪れていました。その頃漱石の癇癪があまりにはげしいので、鏡子は尼子医師に相談を持ちかけています。(『漱石の思い出』による。)

 

『吾輩は猫である』に登場する医師の甘木先生は、尼子四郎のことであると言われます。漱石の鈴木三重吉宛書簡に、「広島といふ所はどんな所か行つて見たい。広島のものには僕の朋友が少々ある昔は大分つき合つたものだ。猫のうちにある甘木先生も広島の人だ。」とあり、井原市次郎宛書簡には、「尼子さんは四郎と云ふ名です同町内に居ていつでも厄介になります。先日逢つたら飛んだ所へ引合に出されたと申されました。迷亭と云ふ男は定めてありません。」とあって、甘木先生は尼子医師がモデルだと漱石も認めていたようです。

 

 

写真は門の由来書(掲示)です。

 

 

 

 

写真は、戸河内小学校。

尼子四郎ゆかりの門は、写真左端の由来書の横にあります。